実家という名の刑務所

何でも干渉し管理し思考までも支配する。毒親に育てられた記録。

離婚して地元に帰ってきた話①

こんにちは、過干渉(ヘリコプターペアレント)で支配型の毒母に育てられたアダルトチルドレンの日和です。


先日≪ブログ再開する前に…≫でお話した通り離婚して地元に帰ってきました。

離婚たいと言われて帰ってくるまで、ちょうど5ヶ月でした。

人生の選択にしては短い期間のように感じますが、私にとっては長く辛い苦しい5ヶ月間でした。

毒親ブログなので旦那ではなく私と親にスポットを当てて書いていこうと思います。


――――――


まず、親父に報告したのは、離婚を切り出されて約1ヶ月後のことでした。

当時の私はまだやり直せると信じていて、別れることなんて微塵も考えていない頃。

それに、私としては帰る所も無いし何があっても添い遂げる覚悟で結婚したので離婚なんて許さないんですが…と4/8にTwitterでもつぶやいていてる通り、地元に帰るつもりもありませんでした。

毒母に悩まされながら29年間生きてきて、自律神経失調症で苦しみ、慢性疲労症候群で入院して、だけど愛し愛してくれる人と一緒になってこれでやっと幸せになれるねって親戚一同に祝ってもらって見送られた。

なのに2年足らずでどうやって帰れと。

絶対にやり直すんだ、絶対に帰れない。

そう思ってる時に親父に報告しました。

もちろん親父が外出先で毒母が傍に居ない時に。


=日和 =
離婚したいって言われてて。女も居るみたいだし家も出て行かれた。でも私は…

= 親父 =
別れるなら早い方がいい。帰ってくればいい。

=日和 =
でもどんな顔で帰ったら…

= 親父 =
どんなも何もない、帰ってきたらいい。
でもこの事はこの先どうなろうが毒母に黙っておける問題じゃないから言うよ。毒母が動いたらややこしくなるのは目に見えてるから一切動かせないようにする。


初めて親父が頼もしく思えました。

そして『帰ってもいいんだ…』と肩の荷が下りて、悩んでたのが何だかどうでもよくなってきたのを覚えてます。

そんな報告をした次の日、親父からLINEが入りました。

『再来週の土日でそっち行きの飛行機予約しました。俺1人で行きます』と。

すぐ電話しました。

「すぐ行きたいけど再来週しか行けるタイミングがない」
「日和1人の話だけじゃなく、卓人君の話も聞きたいから行く」
とのことでした。


この時、旦那は”頭の整理したいから5日くらい時間が欲しい”とのことで家を出ていました。

女のところか実家かネカフェか知らないけど、信じて待ってましたが1週間経っても10日経っても帰ってこず、連絡もほとんど取れない状態でした。

それでも修復を願う気持ちと、もうダメなんじゃないかという気持ちがグチャグチャに入り交じって精神的にズタボロでした。


離婚を切り出された時に旦那に言われたんです。

「毒母から離れたくて来たんでしょ」
「生半可な気持ちで来たわけじゃないって言う割に何もしてないように思うけど」

相当頭にきました。

離れたい気持ちは確かにあったから否めない。

だけど、だったら、それだけなら、わざわざ食文化も気候も全然違うところまで来ないよ。

そもそも「毒母から解放させたい」って言ったのは卓人だし、ちゃんとしたプロポーズしてもらってないからこの一言がプロポーズだと私は受け取ってたんですが。

それに何もしてないってなに。

あなたに一切の家事をさせずに今まで生活してたし、ほぼ毎日朝5時半出勤でも3食作って食べさせてきたのになかったことにされた。

体壊しやすいから家事とパートは体と相談しながら自分なりに精一杯頑張ってきたのになかったことにされた。

挙句女作って重箱の隅をつつくような離婚理由並べて家出て行って。

なんの為に、なんで、8時間の地まで来たのやら。

親父は帰って来いって言うけど、もうどうでもいいや。

死んでやろう。

他人巻き込みたくないし旦那が発見出来るように家で首吊るか。

本気で思った。


――――――


気軽に毒母アンケート、コメント、読者登録、スター、ブックマーク、共有等お待ちしております。

↓応援お願いします↓
  にほんブログ村 家族ブログ 毒親へ
Twitter:横峰日和